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前でみたように、脳容量が大きくなり、現代人につながるいわゆるヒトらしい特徴が現れてきたのがこの時期でした。
人類はそのあいだのほとんどを狩猟採集によって生活していました。
農耕牧畜を開始したのが約一万年前で、現代のような文明社会が築かれたのはほんの数千年前のことですから、わたしたちの心の構造や働きは、狩猟採集という生活様式に適応してデザインされている可能性が高いと考えられます。
物理的な進化的適応環境は、おそらくサバンナだったのでしょう。
実は進化的適応環境といってもかなり気候変動などが激しかったという話もあり、長期に安定した物理的環境があったのかどうか疑問視する声もあります。
しかし、ヒトは他の類人猿と比べてはるかに開けて乾燥した土地に適応していることは確かでしょう。
そのような環境のなかでヒトが遺伝子のインターフェイスとして解決しなければならなかった問題は、いかに生き延びて繁殖するかということでした。
いかに生き延びるか、ということにとって重要なのは、いかに食糧を得て、捕食者から逃れるかということです。
現代に生きるわたしたちは、よっぽどのことがない限り肉食動物に捕らえられて食べられるなどということはあり得ませんが、サバンナに暮らすホモ属にとっては捕食というのは大きな問題だったに違いありません。
もっともこれはヒトに限らず、他の種とも共通の問題です。
ヒトの場合は特に、さほど速く走れるわけでもありませんし、力も強くありません。
初期人類はかなりの割合でヒョウやライオンなどの大型肉食獣の餌食になっていた可能性があります。
自然淘汰の説明をするときによくいかれる話ですが、ライオンに追われたガゼルがしなければならないのは、非常に速く走ることではなく、他のガゼルよりもばんの少し速く走ることです。
自分ではなく他のガゼルがライオンに捕まれば、そのあいたに自分は逃げることができるからです。
自然淘汰の単位は遺伝子であり集団や種ではありませんから、他個体よりも相対的に生存率を上げる性質があれば、その性質は残っていきます。
実はこのことは、集団の形成にもいえるのです。
自分一人がサバンナにぽつんと立っていて、そこにライオンが来れば自分が食われてしまう可能性は非常に高いわけですが、もう一人いれば、確率は二分の一になります。
三人いれば三分の一、というように、多くいればいるほど自分が犠牲になる確率は少なくなるのです。
ある程度数がそろえば、今度は場所が大事になります。
集団の外側にいる人ほど狙われやすいわけですから、内側にいればいるほどいいわけです。
皆がそう考えると、集団は空間的にもひとつのかたまりになるでしょう。
かなり数が多くなれば、ライオンを追い払うこともできるかもしれません。
このように、それぞれの個体が利己的に対捕食者戦略をとろうとするだけで、ある集団が形成されてしまうのです。
また周りに多くの個体がいた方が、それだけ注意を払う目が多くなるので捕食者を発見しやすくなるというのも、集まることの利益のひとつです。
霊長類には単独生活をするものから一〇〇頭前後の両性集団をつくるものまで、さまざまな種がいます。
活動時間帯も大きく分けると夜行性と昼行性に分けられるのですが、夜行性の種と昼行性の種で集団のサイズを比較してみると、昼行性の種の方が大きな集団をつくっていることが明らかになっています。
これは集団形成の対捕食者説を支持するものです。
夜活動する種は、あまり目立つことがありませんから、捕食者にやられる確率も低くなります。
一方昼間に活動する種はさまざまな捕食者に狙われやすく、大きな集団をつくって対処する必要があったのでしょう。
では、集団は大きければ大きいほどいいのでしょうか。
そんなことはありません。
あまり大きくなると、こんどは損失が生じてきます。
一人あたりの分け前が減るのです。
有限の食物が集中して存在しているときには、それを食べる人数が増えれば増えるほど一人あたりの取り分が減ります。
取り分を増やそうとすると、新たな食物を探さなければなりませんが、それには移動のためにエネルギーや時間を使わなければなりません。
つまり、捕食者対策の利益と採食競合の損失の釣り合いがとれたところで、集団の大きさは決まっているといえます。
集団が大きくなると採食の面で損失が増えるといいましたが、実はこれは集団がひとつしかない場合のことです。
隣接する集団がいて、同じ食物を巡って争っている場合はどうでしょうか。
集団間の争いの場合、単純に考えて数が多い方が優位になります。
ということは、数が多い方が採食にとって有利に働くこともあるのです。
捕食者対策と集団内の採食競合に加えて、集団間の採食競合という要因も考えなければなりません。
これら三つの要因の強弱は、それぞれの環境によって異なってきます。
捕食者があまりいないような地域では集まることの利益は少なくなりますし、集団の密度が高いところでは集団間の採食競合は激しくなるでしょう。
進化的適応環境においてヒトが形成していた集団とは、どれくらいの大きさだったのでしょうか。
もちろん、そんなものは化石のような物的証拠としては残りません。
しかし、種間比較という方法を用いれば、ある程度の推測が可能になるのです。
霊長類は他の哺乳類に比べて大きな脳をもっています。
もちろん体が大きくなると脳もそれにあわせて大きくなりますから、これは体重に比較して大きいという意味です。
霊長類はそれぞれの種ごとにさまざまな大きさの群れを形成していますが、その群れの大きさと脳の大きさをグラフに表すと、大きな群れをつくる種ほど脳の相対的なサイズが大きくなっていることを、神経生理学者の滓口俊之と霊長類学者の宮藤浩子が発見しました。
脳が大きいということは、単純に考えると知能が高いことを意味します。
実際、他の分類群よりも相対的に脳が大きい霊長類は、記憶や学習能力が優れています。
脳はそう簡単に大きく進化するものではありません。
脳は非常に精密な、エネルギーを食う器官であり、脳を維持するには非常にコストがかかることについては、すでに前で述べました。
自然淘汰を考えるときには必ず利益と損失のバランスを考慮しなければならないという話をしました。
このことは脳の進化にもあてはまります。
脳を維持していくのにはかなりの損失が伴うにもかかわらず、霊長類においてこれだけ脳が大きくなっており、さらに大きな群れをつくる種ほど大きな脳をもつということには、それに見合っただけの利益があったはずです。
その利益とは、集団の中でうまくたちまわることだったと考えられています。
集団というのはただ個体が集まっているだけではありません。
近いところにいるわけですから、その成員のあいだにはさまざまな社会的交渉が生まれてきます。
相手の出方を見極めて対立したり和解したりということをしなければならないわけですが、そのためには強力な情報処理能力が必要とされます。
群れが大きくなればそれだけ情報処理は複雑になっていきますから、そのために大きな脳が必要とされたというわけです。
これを社会的知能仮説といいます。
脳のなかでも高度な情報処理を行っているのは大脳新皮質と呼ばれる、外側の部分です。
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